2013年のクリスマスのこと——-

ベトナム人友人家庭のクリスマスパーティーに招待されました。
両親と子供二人、合計4人が一緒に暮らす小さな家
部屋の広さは わたし1人で生活するアパート(1LDK)の半分よりも少し狭いくらい

リビングのような場所で、洗濯もし、食事を作り、
家族全員で食事をし、そこに布団を広げて寝る。
一つの部屋に キッチンもあり、洗濯機も、冷蔵庫も、テレビも、布団も置いてある。
食事しているとき、布団は 棚の上。
モノを置くスペースがないから、壁にびっしり モノは積み上げられている。
ここでどうやって、家族4人が生活できるのだろう?と不思議に感じます。

わたしはその家庭で 精一杯のおもてなしを受けました。
家族4人全員が とても美しい心の 素敵な人たちです。
笑顔も絶えない。
食事は 床の上に座って食べる。
床はタイル張りだけれど、竹で編まれたような薄いクッションの上に座る
テーブルの代わりに 黒くて厚い板をタイルの上に置く。
その黒い板の上に 料理が並ぶ。
テーブルや椅子を置くような広いスペースがない。

出されたのは、ベトナム料理。
春巻き、豚の料理、野菜、エビ(エビと言っても小さい)等々、、、。
わたしが大好きな空芯菜の炒めものもありました。

家族全員で 家を掃除し、買い物をし、食事を作って歓迎してくれました。
床に座る習慣がない、海外生活の長い身には 少し辛かったけれど、
そんな事を忘れさせてくれるほどの 温かいおもてなし。
どんなに高級なレストランよりも
心のこもった素晴らしいおもてなしでした。

長く わたしの記憶に残る夜であることは 間違いがありません。

招待してくれたベトナム人の家庭は とても貧しいと思います。
でも、『人はお金じゃないんだな。』ってのが
ベトナムに来て 感じることが度々あります。

かつて、日本や香港などの先進国に住んでいた時は、
その事を知識として理解できても、実感することはできなかった。

わたしは欧州や香港で、たくさんの大金持ちと付き合ってきました。
40階建ての高級ホテルを、個人で所有している友人。
数千万円のフェラーリを2年ごとに買い替える友人。
フランスでは、自宅の敷地が甲子園球場くらいあって、
広大な自宅敷地には、ゴルフコース、テニスコート、プールがあるお客さん、、、。

わたしもいつかはそういう風になりたいと思いながら ビジネスをしてきました。

でもベトナムで会ってきた人たちの多くは 貧しく、慎ましく、
お金はないかもしれないけれど、
周りから尊敬され、温かくて素晴らしい家族に囲まれ、
いつも胸を張って、どうどうと生きている。
貧しくても、他人に迷惑をかけず 悪いことをせずに生きてきた。
子供たちを、恥ずかしくない立派な人間に成長させて社会に送り出した。
人生を全うに、正直に、心温かく、幸福に生きている人がいる。
そういうことは ベトナムにきて 知ることができました。

香港や欧州で目にした ビジネスでの成功者よりも、
ベトナムでひっそり、暮らしている人たちの方が 輝いて見える。
大金をかけて、子供を海外留学させ、大邸宅に住み、フェラーリを乗り回すよりも
なぜか 輝いて見える
頭を殴られたようなショックを感じた。
とても大切な事に今まで気づかずに生きてきた気がしました。

昔の人たち・・・想像ですけど終戦直後までは、日本でも
慎ましくも凛とした、胸を張って生きている人たちが大半を占めていたのではないのでしょうか

豊になればなるほど、大切な事を忘れて欲に走るのが、人間の悪いところ。
それを実感したのは、2011.3.11。
あの時は、お金のある人も無い人も、全ての人が同じ条件下での生活。
お金があってもそれが機能しなかったのです。でも、大きな混乱は有りませんでした。

信号の止まった交差点での大事故は目にしなかったし
食料品店では皆列を作って決められた数を買い、
・・・数え上げたらキリが無い。

例外は勿論有ると思いますが
ほんの一瞬・・・秩序が保たれた平和な世界がありました。

カップ麺と飲み物を手にして喜んでいた人々が
数日後には「パンが食べたい」と言い、
パンの入荷が始まると入荷したパンはあっという間に完売しました。
でもその数日後には
パンは大量に売れ残っていました。

やがて、復興が進むにあたり、町の中では我がまま勝手な運転をする人も。
繁華街では大金をばらまいて、豪遊する人たちも。
全てが「元通り」になりました。
震災直後の数日間は一体なんだったのか。

立ち止まって 考えたい、これからの自分のことを
そういう事を考えさせてくれるベトナムの人たちに感謝です。