【海外販路開拓:フランス最新情報】日本の技術でパリを”創る”[番外編②(前編)]

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【海外販路開拓:フランス】日本の技術でパリを”創る”[番外編②(前編)]

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前回の記事が好評をいただき、今回は同テーマをさらに深堀り。
前後編に分けて、ナポレオン三世の治下にジョルジュ・オスマンによって執り行われた「パリ大改造計画」について解説していきたいと思います!

パリ大改造に至るまで

19世紀前半のパリは産業革命の影響などで人口が急激に増加。
1800年代初頭には約55万人だったものが、1840年代半ばには100万人を超えました。
パリ中心部の人口密度は1ヘクタール当たり800~1000人、あるいはそれを超えるレベルの人口過密エリアが拡大していたようです。(*1)
狭く曲がりくねった日当たりの悪い道沿いに密集する住宅。風通しも悪く衛生環境は決して良いとは言えませんでした。
排水溝には雨水だけでなく、動物の糞や廃棄物などの汚物が滞留し、下水道の不備はセーヌ河の汚染ももたらしました。
それに加え、1832年のコレラをはじめとする疫病の流行。
パリの町はもう限界でした。

オペラ通り(パリ1区)[パリ市立歴史図書館より]


大火災による焼け野原から復活を遂げた美しいロンドンの街を目の当たりにしたルイ・ナポレオン(ナポレオン三世)は、パリの改造を決意。
1852年にジロンド県で県知事に就任し、ボルドーの都市開発(※)で名を馳せていたジョルジュ・オスマンがその手腕をパリでも振るうこととなりました。(*2)

※鉄道路線や工場の建設道路整備やガス灯・水道の整備など

大改造計画の立案

この大改造計画のキーワードは「流れ」。
「tout doit circuler !(すべてが流れなければならない!)」という合言葉もあったとか。
この考えの元、人・モノ・空気・水、すべてが円滑に流れるように政策が立てられました。
(具体的な工事内容は後編にて!)

この大工事には職人、鉄工、彫刻家など約8万の労働者が動員されました。(*3)

現場は国によって監督され、融資によって資金が調達されましたが、実施は民間の業者に委託されていたようです。

(後編へつづく…)

*1:https://imp.or.jp/2021/10/15/special-1/
*2:https://www.linternaute.fr/actualite/biographie/1776596-baron-haussmann-biographie-courte-dates-citations/
*3:https://www.paris.fr/pages/haussmann-l-homme-qui-a-transforme-paris-23091

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ゆい

FPMCフランススタッフ。
神戸大学文学部人文学科・社会学専修卒。
ヨーロッパ(フランス)への販路開拓営業やコンサルタント業、展示会通訳やアテンド業務に従事。
パリ在住2年目。兵庫県姫路市出身。

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